鉄の墓標

四式中戦車 帝国陸軍

概要

初出

『週刊少年サンデー』1973年22号

作中日時

不明。1944年3月と推測

関連場所

チャドウィン川西方3㎞

登場人物

サセックス速射砲連隊
足立太 31師団所属
酒田英宗
河原口宏
土方総司総司技術大佐

トレンター(M4車長)

登場兵器

6ポンド砲?
九七式中戦車
三式戦「飛燕」
三八式歩兵銃
九九式歩兵銃
ステン短機関銃
一〇〇式短機関銃
四式中戦車
M4中戦車

あらすじ

ジャングルの中でサセックス速射砲連隊が待ち伏せで帝国陸軍の九七式中戦車を撃破する。

帯同歩兵の一人は撃破された戦車のわきで倒れるが、雨の中見逃される。

英軍が去った後、気を取り戻した歩兵は立ち上がるが、突然鉄帽に射撃を受ける。撃ったのは中年の友軍歩兵だった。

足立と酒井の二人は捜索任務を負っていたが、上官が全滅したため、何を捜索するかもわからない。ジャングルをさまようが、英軍に出くわしたところを友軍戦車兵に救われる。

戦車兵は二人を乗員として迎え入れ、二人は四式中戦車の臨時乗員となる。

友軍中戦車が英軍のM4に追われているところを見て、出撃する四式中戦車。不慣れながらも砲手を務める足立はM4を撃破する。

追撃の途中、英軍砲兵の制圧射撃を受け追撃を断念する。

土方は足立にメモ帳をわたし、味方陣地への脱出を命令する。

残った三人で押し寄せる戦車隊に立ち向かう四式中戦車。足立は渡されたメモ帳が四式中戦車の実用試験報告であることを知り、仲間の元へ戻ろうとするが、霧で砲火しか見えない。

上空で土方を援護するはずの三式戦からも戦場は見通せず、援護は不可能だった。メモ帳を持った兵士が帰還したという記録はない。

いろいろ

世界三大ダメ作戦のひとつ。ミリオタならば「牟田口逝ってヨシ!」と叫ぶインパール作戦中のできごとです。

どこの話なの、これ?

チャドウィン川は「チンドウィン川」という表記のようです。ビルマ(いまはミャンマー)とインドの国境付近。第31師団が渡河したのはインパール作戦のためですが、足立と酒井の部隊は行方不明となった土方大佐の試作四式中戦車の発見が任務だったようです。

チャドウィン川とインパール、コヒマの位置関係

チャドウィン川とインパール、コヒマの位置関係

チャドウィン川とかインパールとか、ものすごく内陸。そんなところまであのでかい四式中戦車、どうやって運んだんでしょう。河川用の輸送舟艇なのかな。

第31師団の進撃路

第31師団の進撃路

足立の所属する第31師団はコヒマ方面攻略に投入されたようですので、インパール行きの連中よりは北の方を西進したようです。上の図ですと北側の進路ですね。

「鉄の墓標」の戦場はここ

「鉄の墓標」の戦場はここ

「チャドウィン川西方3キロ」ってありますし、さすがにあの大きな戦車で山脈は超えないよなあと思うので、四式中戦車の戦場はこのあたりということに。

足立と酒田は面識もなく部隊が違う様ですが、コヒマ攻略に投入されたのは第31師団のみですので、二人は同じ師団の違う部隊のようです。足立は九九式小銃、酒井は三八式小銃と装備が異なりますので、酒井の方は輜重兵部隊かなにかの後方部隊だったのかもしれません。

いつの話なんよ

いつもこればっかり気になるw

インパール作戦は口ばっかり調子のいいチャンドラ・ボースの軽口にたぶらかされた陸軍幹部が特に戦略的な根拠もなくノリだけで始まる作戦ですが、準備だのなんだのでgdgdしていて、第31師団がチャドウィン側をこえたのはのは1944年3月6日だそうです。

「渡河したとたんに戦車に踏み込まれてちりぢり」ということらしいですから、1944年春の話という事に。

まだ山脈もこえていないころですね。

インパール作戦について

まあクソ作戦です。本編の本筋でありませんが、インパール作戦についてすこし。

この作戦の困難さを、吉川正治は次のように説明している。

「この作戦が如何に無謀なものか、場所を内地に置き換えて見ると良く理解できる。インパールを岐阜と仮定した場合、コヒマは金沢に該当する。第31師団は軽井沢付近から、浅間山(2542メートル)、長野鹿島槍岳(長野の西40キロメートル、2890メートル)、高山を経て金沢へ、第15師団は甲府付近から日本アルプスの一番高いところ(槍ヶ岳3180メートル・駒ヶ岳2966メートル)を通って岐阜へ向かうことになる。第33師団は小田原付近から前進する距離に相当する。兵は30キログラムから60キログラムの重装備で日本アルプスを越え、途中山頂で戦闘を交えながら岐阜に向かうものと思えば凡その想像は付く。後方の兵站基地はインドウ(イラワジ河上流)、ウントウ、イェウ(ウントウの南130キロメートル)は宇都宮に、作戦を指導する軍司令部の所在地メイミョウ仙台に相当する」[183]

準備及び戦場の状況

そんで関係ないけど「ジンギスカン作戦」とかその辺のウェイみたいな作戦を考えたりする。
戦国時代よりひでぇ。

足立の第31師団はこのような戦闘のついでに試作中戦車の捜索なんて任務までもらっちゃったわけで。

日本人は一般的にインパールというと「目的地まで行きつけなかった失敗作戦」という印象が強いようです。「白骨街道」が有名すぎたせいかもしれませんが、実際はコヒマは9割占領。インパールも包囲するところまでは進んでいます(これだって現場の努力だけでの成果ですが)。

作戦立案者は「包囲すれば補給が切れて降伏する」という算段だったようですが、実際は英軍が航空機による空輸でバンバン補給をしたために、包囲している日本軍の方が補給切れで撤退するというはめになるわけですね。その際の帰路が地獄と化した白骨街道になる。

足立の第31師団は「早急にコヒマを占領し、北方からインパールに圧力をかける事」という任務だったわけですが、コヒマまで突入し占領の途中で、約束されていた補給が与えられず継戦が不可能となり、師団長の独断で撤退するという帝国陸軍でも前代未聞の行動をとります。

師団長だった佐藤中将は軍法会議での死罪まで覚悟したそうですが、彼を断罪すると作戦指導部の責任が問われてしまうので、軍法会議は開かれず、佐藤中将を精神病院送りにして処罰も特になかったそうです。第31師団の独断の撤退を以て作戦中止のきっかけにもしたようですし、どこを切ってもだめな連中だな。

敵の英軍ってどんなん

英軍は準備万端の待ち伏せ、籠城、たてこもり系の守備戦闘で日本軍を迎え撃ちます。ヒツジつれていけば勝手に歩くし、草食うから餌いらないし、これを食いながら戦うといいんじゃね?なんて戦国時代みたいなことをのんきに言ってた日本軍をビシバシと撃破。

はっきりいって史実的には試作戦車の実用試験なんてまじめなことするような状況ではなかったのですが。

英軍として「サセックス速射砲連隊」が登場します。「サセックス連隊」というのは実在していますが、英第2師団には存在しなかったと思います。

速射砲、なんなん

サセックス速射砲連隊のかっこいい砲。雰囲気的には6ポンド砲。57ミリ砲ぽいです。

オードナンス QF 6ポンド砲

オードナンス QF 6ポンド砲

チャーチルとかの主砲になってる奴だわ。
つよそう!

チハたんvsM4

速射砲やM4にばかすかとやられていく九七式中戦車。のちに出てくる四式中戦車を際立てる弱さです。実際にはそこまでは弱くなかったと思うんだけどなあ。ブリキブリキいうなし。

第31師団に実際に戦車がいたのかどうか。戦車14連隊はインパール行きの15軍の22師団、33師団に配備されたようですが、北方の第31師団に戦車が配備されたのかなあ。コヒマ防衛の英軍にはM3があったようですが、M4はいなかった雰囲気。

したがって第31師団の戦域でのチハvsM4は残念ながら架空戦なんじゃないかと思います。

戦車14連隊には九五式軽戦車、九七式中戦車の他、一式砲戦車もいたらしいですから、こっちについては英兵の「タイプ97、いやタイプ1かもしれん」という発言には根拠があるわけですね。

土方さん登場

零士と言えば、ヤマト。
ヤマトと言えば、沖田艦長、土方艦長、斎藤、藤堂の新選組。
そいから真田さんに徳川さんの戦国組。
登場人物に歴史もの要素がおおいんですが、なんでこうなるのか。零士のキャラって、命名については新選組とか幕末関連、多いですよね。
監督を務める予定だった山本暎一が、他の仕事のため1974年6月末にヤマトから抜けることになったことにより、松本が石黒昇のサポートを受けながら監督も務めた[6]。松本は、キャラクターやメカのデザインをするとともに、『新選組血風録』を元に若者の集団劇を構成した[21][22]

意外ッ!
シバリョーが出どころだったんですかッ!?

零士がヤマトに参加したのは74年らしいですから、この頃の零士のフェイバリットだったようです。

話は飛びますが、沖田艦長の「十三」って「海野十三」がネタ元ですよね。「海野」で「十三」なんて零士が作ったのかと思うくらいの筆名だしw
あ、伊丹十三もゴルゴ13も関係ないですからね。
戦場まんがだと、「近藤さん」はこのあとたまに出てくる。
「白いしっぽの近藤機」は新米ですが、二式大艇だと「近藤家」の機長ですね。

技術大佐

大佐って言えば師団の参謀長とかやるくらい偉い人です。ひらひらした服の褐色ギャルと一緒に前線出てたりしちゃいけない立場。少なくとも、現場に来て戦車ころがしてていい階級の人じゃない。本当は乗員じゃなかったんだと思いますよ。
現地における運用試験の監督として一個小隊くらいを連れて行ったら、戦闘に巻き込まれて自分と河原口のふたり残して全滅してしまい、しかたなく(しかしうれしそうに)戦車乗ってるんだと思う。
「技術大佐」ってのがもしかするとミソなのか。通常の兵科の大佐とは扱いが違うのかな。機関とか兵站とかの士官は兵科よりも扱いが悪いって言いますし。
1919年(大正8年)8月6日、陸軍技術将校令(大正8年8月6日勅令第368号)が制定施行され、陸軍将校(歩兵・騎兵・砲兵・工兵・輜重兵・航空兵科に属している兵科将校)のなかで、技術を掌る部門にある者を「技術将校」という分類とした。技術将校は主に一般大学の工学部又は理学部出身の学士から補充することが予定された(当時の陸軍補充令)。1940年9月15日には、これらは独立した各部の一つとして「技術部」となった。
技術大佐、実在しましたね。そういえば陸軍の航空審査部には来栖技術少佐なんて人もいました。
しかし
「歩兵・騎兵・砲兵・工兵・輜重兵・航空兵科に属している兵科将校」
の中に「機甲」がないのがきになる!

登場兵器

一〇〇式短機関銃vsステン短機関銃

金色ロボてきには「百式」と書いた方がそれっぽいですが、皇紀2600年採用の陸軍制式兵器は「一〇〇式」と表記する方が正しいらしいです。

一〇〇式司令部偵察機とか一〇〇式輸送機とか一〇〇式重爆「呑龍」とかね。

ご存じの通り海軍だと「零式」です(ここでも仲わるいw)。

おっさんわくわくステン短機関銃

酒井のおっさんがほしいほしいと願ったステン短機関銃。
土方さんが持ってる百式短機関銃に撃ち負けますが、どちらもジャンル的にはマシンピストル。拳銃弾を連続発射する機関銃ですね。

一〇〇式が8ミリ南部弾(「パイロットハンター」の十四年式、九四式拳銃とおなじやつ)、ステンガンが9ミリパラベラムだそうで、弾薬的にはステンガンの方が強そうw
一〇〇式も悪い銃じゃなったそうですが、拳銃弾や小銃弾の補給もままならない状況で、「偶に撃つ弾がないのが玉に瑕」だったようです。コンパクトなので、戦車兵用にという事で四式中戦車の備え付け装備だった模様。
三八式 3,730gに対して、ステンガン3,180g。
予備弾薬まで考えると、それほど軽くない。おっさん、装備はよく考えろよ。

四式中戦車

主人公。キングタイガーとだって渡り合えそうな四式中戦車です。

史実の四式中戦車はこんな感じ。

四式中戦車の縦断面要領図

四式中戦車の縦断面要領図(量産型図面もしくは三菱現存図面と言われるもの)

だいたいあってる。

めっちゃ無敵ですが、性能的にはこんなかんじ。

四式中戦車(史実)四式中戦車(零士)ティーガーIIM4A1
重量30.0t30t69.8 t30.3t
出力412hp/1,800rpm400PS
700 PS/3,000 rpm460hp/2,400rpm
主砲五式七糎半戦車砲(65発)90mm8.8 cm KwK 43 L/71(84発)52口径76.2mm戦車砲M1 (71発)
装甲(砲塔)前面75mm
側面・後面50mm
-前面180 mm
側・後面最大80 mm
12.7~76.2mm
装甲(車体)前面75mm
側面25〜35mm
後面50mm
上面20mm
-
前面最大150 mm
側・後面80 mm
上下面最大40 mm
意外ッ
スペック的には主砲以外あまり盛ってませんね。

メカゾーン内で零士の描いた史実版四式中戦車はこう。

史実版四式中戦車

史実版四式中戦車

やっぱりちょっとだけ主砲ながすぎぞw

その主砲が大問題

「90ミリ野戦高射砲を戦車砲に改造、装備したものだ」

何で90㎜なのか!

これはこの話を本屋で立ち読みしたその日その時(昭和の当時はシュリンクパックなどなくて、本屋さんでまんがの単行本が立ち読みできた。ちなみこの巻は立ち読み後即買いしました)からずっと私の頭を離れない疑問です。

零士的には後に出てくる九九式八糎高射砲(砲兵隊の奴が正式な口径は88ミリって言ってたよ)があるじゃないですか。あれを使ってアハトアハトにすれば無敵感が三割増しくらいになったはずなのに、なぜかよりによってアメリカの口径である90ミリという指定なのか。

帝国陸軍に90ミリの砲なんてあったかな、と調べてみますが、75ミリ以上の対戦車戦闘に使えそうな砲というのはやっぱり帝国陸軍にはなくて、史実の五式中戦車でも75ミリの想定なのです。

ホリ車こと試製五式砲戦車ですと試製十糎戦車砲(長)なんて記載がでてきますが、インパールでお試しするにはさすがにこれはちょっと盛りすぎ。

ちなみにこの砲は海軍の長10サンチ砲とは別物らしくて、陸軍独自開発だったみたい。佐藤大輔が七式中戦車で使うようにこの長10サンチ砲をそのまま戦車に使えばよかったのに、陸海仲が悪かったんだなあ。

ようするに75ミリ以上の砲で80~90ミリクラスの戦車に積めそうな砲は日本には予定も含めてまったくないのです。

なければ好きに描けばいいのですが、これを「88ミリ」とするとドイツとしか思えないし、「85ミリ」とするとソ連戦車にしかみえない。かといって「86ミリ」とか「89ミリ」とか言っても説得力もなく。帝国陸軍は口径5ミリ単位で刻みがちな感じもあるし。

ということで、90ミリをでっちあげたのではなかったか。
そんな風に想像します。

そこで思い出すM3 90mm高射砲

「90ミリ」はアメリカの口径です(誰が決めたw)。アハトアハトの様に対地目標にも使われたM3 90ミリが有名ですし、その流れで西側の戦後第一世代戦車のデファクトスタンダードは90ミリが採用されましたね(その後105mmライフル砲、120mm滑腔砲と続く)。

そう考えるならば、本作が描かれた当時、陸自MBTの一翼を(まだ)担っていた61式戦車との連想は避けられない。61式をみて零士がどう思ったかはなかなか興味深い問題ではありますが、当時の零士に「M4を踏み潰すには国産戦車の直系である61式と同じ90ミリが妥当」という印象があってもおかしくない。

ちなみに61TKのミッションは四式中戦車の流れを汲んでいるそうですよ。偶然だろうけれども。

1950年代後半当時の国産技術では、500馬力超のディーゼルエンジン出力に見合う戦車用トルクコンバーターの開発ノウハウは不足しており、後にSTA-2ではトランスミッションと操向装置は、戦時中の四式中戦車を参考にした「チト式」に変更されている[9](試作車STA-3、STA-4では、トランスミッションは機械式ハイ・ロー切換2段クラッチ、操向装置はクレトラック式となった)。

マズルブレーキの形が違うのはまあよしとして、やっぱり61式の90ミリ/L52がイメージソースだったのかなあ。

零士がメカゾーンで描いた五式中戦車の脚注には「これが戦後の61式中戦車の母体となって、その血の流れは引き継がれたという説がある」と書かれています。

戦場まんがでは描かれることのなかった五式中戦車

戦場まんがでは描かれることのなかった五式中戦車

ちなみにメカゾーンは昭和54年(1979年)の初版です。
砲塔が前後ろなのは、当時の記録写真の通り。

しかしアメリカ人、なんで90ミリなんて作ってたん

ここからも完全に余談ですが、M3 90ミリ高射砲というとM36とかM26とかに積まれた砲ですね。これもよくわからなくて、ヤード・ポンド法のアメリカさんがなんで90ミリなんて半端な口径を使ったのかというのが首をひねる話です。一説には人力給弾可能なぎりぎりの口径だったなんて話もありますが、

3inch 76.2 mm
3.5inch 8.89mm
4inch 101.6mm
となると、もうヤーポン法にこだわった口径の設定はどうでもよかったのかもしれない。これ以降、101.6ミリ戦車砲とか、ないですしね(艦砲はいまだにヤーポン基準だけどな)。
話はチャドウィン川に戻ります。

偽装された試作戦車

アミアミがかけられて俯瞰での登場。
燃える!
しかしドーザーブレードもなくてどうやってこの穴掘ったんだろう。
あと土方さんが網の上に立ってるみたいで、むかしからすごくきもちわるいw
次ページの壕の中からのアオリカットではハッチも機銃も偽装網のしたになっていますから、土方さんのスネの下、すごくながいはず。

M4と勝負

足立砲手、高め、低めと外して三発目でヒット。M4を一撃でスクラップにします。
一発目は上方に外れた砲弾が空中で爆発しますから、時限信管のよう。見方によっては木の枝に当たったようにも見えるけど、ちょっとはっきり見えなくて腰が引けてる感じ。「砲弾が上に外れる描写」って、漫画じゃ描きにくいよな。二発目は手前の地面に外れてこっちも爆発していますが、この二発は榴弾なのか。
しかし初めて撃ってこの結果。ちょう優秀!ビットマンもほしがる名砲手!
おっさんは無線手という事ですが、たぶん無線手は装填手兼任なんだろうなあ。

三式戦、どこから作戦してたん?

当時は第五飛行師団がインパール作戦の支援をしたらしいですが、三式戦はラングーン(現ヤンゴン)に配備されたらしいです。64戦隊かと思いましたがあそこは隼だし、どの部隊かはちょっとわかりません。コヒマまでは600~700㎞くらい。三式戦の航続距離は3200㎞を超えるそうなので飛んで飛べないことはないですが、現地での滞空時間は限度があります。

三式戦のパイロットが常に焦り気味に捜索し、砲火を見ても霧であきらめてしまうのも、不人情というよりは、遠隔地からのミッションだったことに依るのだと思います。

それにしてもラングーンには司偵もごろごろいたはずなのに、なんで戦闘機で捜索なんかしたのか。相当危険な空域だったってことでしょうか

バズーカ砲で撃ってきたらどうだろう

足立がさらっといいますが。
インパールで籠城する英軍歩兵が行うPIATでの対戦車戦闘で、成形炸薬弾なるものを初めて見た帝国陸軍だったらしいので、歩兵の足立がこの時点でそんなことを言うのも変な気がします。
しかしそれはそれとして、成形炸薬に対する防御と徹甲弾に対する防御は別の話なので、足立の指摘はもっともすぐる!足立、ここでも優秀!

死なないのはアメリカ映画のアメリカ兵ぐらい

うむ。繰り返されるフレーズである。
新谷師匠の戦場ロマンでも見た気がします。
「撃たれても弾が当たらない」とか「弾切れしない」とか、実に悔しそう。

戦車技術研究所

大きな文字でしたしみやすく書いてある表紙の「戦車技術研究所」
史実では第四陸軍技術研究所が戦車開発担当だったらしいです。

発砲炎に照り返される四式中戦車

この光と影の描写。本当に美しい。
総火演にいっていた頃には発砲炎を撮りたくてがんばりましたが、PKRを何本まわしてもジャストの一枚は撮れませんでした(だいたいけむりだけw)。
デジカメの今ならムービーみたいに押しっぱなしにして運任せでいけていいなあw
この描写からすると足立を下ろした後、だんだんと日が暮れてきているんですよ。日暮れの戦闘なんだと思います。

三式戦もビンゴフューエルの上に、日が暮れてくる。上空はまだ明るいけれども、地上は闇に落ちかけてきている。そろそろ帯空時間の限界なんです。

そう思って最後の三式戦の「確認不能」の報告を読むと、目頭が熱くなってきますね。

まとめ

絶望のインパール作戦ですが、そちらの話は殆ど語られません。

心の中では現物と別物扱いだった四式中戦車零士改ですが、意外にも主砲以外は史実に近いスペックでした。装甲がどうだったのかは今一つ不明ですが、形態と総重量はほぼ史実通りですので、零士的には史実の四式中戦車も砲力以外はM4を凌駕するものと考えていたと思われます。

ミリオタ的にはM4とはいい勝負というか76.2ミリ砲の奴とはちょっと負けっていうか、整備性や耐久性、そもそも数の問題などで比較にもならない気がしますが、そのへんにはやはり試作ロマンによるポイントのかさあげもある。

「補給がいっぱいあれば」
「いいパーツが使えれば」
「量産されて数がそろっていれば」

とビグザム的な思い入れをしてしまう「試作兵器」ネタですが、やっぱりそれでもM4を踏みつぶす日本戦車はいい。

零士の架空試作兵器ものというと、他には「衝撃降下90度」があって、これはコンセプトもテイストも全然違うのですけれども、「鉄の墓標」はインパール戦という具体的な戦場に叩き込まれた試作戦車の戦闘というリアリティが素晴らしいですね。

戦場まんがは「戦争」「戦場」の悲劇性に目を向けることが主要なコンセプトだと思いますが、こういう仮想戦記的な「あの日あの時のくやしさを、絵の中だけでも晴らしたい」系の怨念作品もけっこうありますよね。

そういうのだって嫌いじゃないんだよ、私は!

次回は島田軍曹の死に方がすこぶるショッキングな「独立重機関銃隊」です!

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